第4回のおさらい︓AIが⾒つけた"動物の⾏動パターン"
前回の第4回では、AIがどのようにして野⽣動物の出没を予測できるのか、その仕組みを詳しく⾒てきました。
過去の膨⼤なデータから動物の⾏動パターンを学習し、場所と時間を三次元的に分析することで、従来では不可能だった精密な予測が実現できることがわかりました。
そして今回の第5回では、いよいよ"その予測をどう活⽤するか"について考えてみたいと思います。せっかく⾼精度な予測ができても、それを実際の⽣活に活かせなければ意味がありません。では、私たちはこの新しい技術とどう向き合い、どのように備えていけばよいのでしょうか?
"クマ出没確率70%"――天気予報のような新しい情報
私たちの獣害予測システムは、皆さんがよくご存知の天気予報と似ています。
「明⽇の降⽔確率は70%です」と聞けば、多くの⽅が傘を持参するかどうか判断しますよね。それと同じように、「明⽇の午後、この地域でのクマ出没確率は70%です」という情報が得られたらどうでしょうか︖
おそらく、そのエリアでの散歩を控えたり、⼦どもの通学路を変更したり、農作業の時間を⾒直したりするのではないでしょうか。
これが、私たちが⽬指している"予測情報の⽇常的な活⽤"なのです。
天気予報と同じように、この予測も100%当たるわけではありません。降⽔確率30%でも⾬が降ることがあるように、出没確率が低くても絶対に安全というわけではありません。
しかし、この確率という情報があることで、私たちはより賢い判断ができるようになります。ある⽇、登⼭を予定していたとします。クマ出没確率が20%なら予定通り⾏くかもしれませんが、80%だったら別の⼭を選んだり、⽇程を変更したりするでしょう。それは決して臆病なことではなく、むしろ科学的で合理的な判断なのです。
これまでの対策は全部"後⼿後⼿"だった?
ここで少し視点を変えて、現在の獣害対策を⾒直してみましょう。
実は、私たちがこれまで⾏ってきた対策の多くは、予知保全でいう"事後保全"にあたります。事後保全とは、機械が故障してから修理する⽅式です。獣害対策で⾔えば、クマが出てから対応する⽅法がこれにあたります。
現在の"事後保全"型対策
- 猟友会の皆さんによるパトロール → クマが⽬撃されてから実施
- 追い払い⽤のロケット花⽕ → クマが現れてから使⽤
- 学校の臨時休校 → 危険が現実化してから判断
- クマ対策ロボットの配置 → 出現したクマを追い払うため
これらはもちろん重要な対策ですが、すべて"クマが出てから"の対応です。
⼀⽅、"予防保全"という考え⽅があります。これは、故障が起きる前に兆候を察知して、事前に対策を打つ⽅式です。私たちの獣害予測システムは、まさにこの"予防保全"の考え⽅を獣害対策に取り⼊れたものなのです。
新しい"予防保全"型対策
- 危険度の⾼い⽇を事前に把握 → そもそもクマに遭遇するリスクを回避
- 出没しやすい場所を予測 → 事前に警戒を強化したり⽴ち⼊りを制限
- 季節的な傾向を把握 → 年間を通した計画的な対策
この違いは⾮常に⼤きいです。"クマが出てから対処する"のと"クマが出る前に備える"のでは、安全性も効率性も根本的に変わってきます。
実際にどう使う? 具体的な活⽤シーン
では、この予測システムを実際にどのように活⽤できるのか、具体的なシーンを通して⾒てみましょう。
※これらのシーンは、事前に⾏った地域住⺠向けのアンケートの結果をもとにしております。
農家の場合
⼭間部でリンゴ農園を営んでいます。収穫期になると、⽢い果実の⾹りに誘われてクマが出没することがよくあります。
従来の対応
近所でクマの⽬撃情報があると、しばらく作業を控える。でも、いつまで待てばいいかわからず、収穫時期を逃してしまうことも…。
予測システム活⽤後
スマートフォンで1週間の予測を確認。「⽕曜⽇と⾦曜⽇は出没確率が⾼いから、その⽇は作業を避けて、⽔曜⽇と⽊曜⽇に集中して収穫しよう」と計画的に作業できるように。
⼩学校教諭の場合
⼭間部にある⼩学校では、登下校時の安全確保が⼤きな課題でした。
従来の対応
クマが⽬撃されると急遽保護者に迎えを依頼したり、集団下校を実施したりしていたが、突然の対応で混乱することが多かった。
予測システム活⽤後
⽉曜⽇の朝に1週間の予測を確認し、危険度の⾼い⽇は事前に保護者に連絡。「⽊曜⽇は出没確率が⾼いので、可能でしたらお迎えをお願いします」と事前に調整できるように。急に『今すぐ迎えに来てください』と連絡するのは、保護者の⽅にとても負担をかけていました。でも事前にわかっていれば、お仕事の調整もできるし、みんなで協⼒して⼦どもたちを守ることができます。
登⼭が趣味の⽅の場合
最近はクマの出没が増えて、好きな⼭に⾏けないことが多くなっていました。
従来の対応
"なんとなく危険そう"という理由で登⼭を控えることが増えていた。でも、本当に危険なのかどうかがわからず、せっかくの休⽇を無駄にしてしまうことも。
予測システム活⽤後
予定している⼭の出没確率を事前にチェック。確率が低い⽇は安⼼して登⼭を楽しみ、⾼い⽇は別の⼭を選ぶか、市街地近くのハイキングコースに変更。
数字で⽰してもらえるので、安⼼して判断できます。確率が低い⽇は思いっきり⼭を楽しめるし、⾼い⽇は無理をしない。メリハリがついて、かえって登⼭が楽しくなりました。
"数字"が教えてくれること
これらの例に共通しているのは、"数字による客観的な情報"があることで、より合理的な判断ができるようになったということです。
従来は「なんとなく危険そう」「この辺りは気をつけた⽅がいい」といった曖昧な表現での注意喚起が中⼼でした。でも⼈によって"危険"の感じ⽅は違います。とても慎重な⼈は必要以上に活動を制限してしまうし、楽観的な⼈は⼗分な警戒をしないかもしれません。
しかし"出没確率70%"という数字があれば、それぞれの⼈が⾃分なりの基準で判断できます。「50%以上なら外出を控える」という⼈もいれば、「80%を超えない限りは普通に活動する」という⼈もいるでしょう。どちらが正しいということはありません。⼤切なのは、それぞれが納得できる基準を持って判断できることなのです。
情報の伝え⽅も⼤切
ただし、この予測情報をどのように伝えるかも重要な問題です。専⾨的すぎると⼀般の⽅には理解が困難ですし、簡略化しすぎると必要な情報が伝わりません。
私たちが考えているのは、利⽤者の⽴場に応じた情報提供です。
農業従事者向け
明⽇の朝6時から8時は出没確率が⾼めです。作業される場合は複数⼈での作業をおすすめします。
学校関係者向け
今週⽊曜⽇の登下校時間帯は要注意です。可能でしたら保護者の付き添いや集団登下校をご検討ください。
⼀般住⺠向け
散歩やジョギングをされる⽅は、今⽇の⼣⽅は特に注意してください。明るい服装で、できれば複数⼈でお出かけください。
同じ予測情報でも、受け取る⼈の状況に応じて、わかりやすい⾔葉で具体的な⾏動指針まで含めて伝えることが⼤切です。
地域みんなで使ってこそ意味がある
個⼈個⼈が予測情報を活⽤するのはもちろん重要ですが、地域全体で情報を共有し、協⼒して対策を⽴てることで、その効果はさらに⼤きくなります。
例えば、ある集落では毎週⽉曜⽇の朝に公⺠館で"今週の安全情報共有会"を開いています。お年寄りの⽅々が集まって、その週の予測情報を確認し、「⽔曜⽇は確率が⾼いから、畑仕事は控えよう」「⾦曜⽇は低いから、みんなで草刈りをしよう」といった相談をしているそうです。
また、ある⼩学校のPTA では、予測情報をSNSで共有し、危険度の⾼い⽇は⾃然に保護者同⼠で送迎を分担するようになったといいます。お互いさまの精神で、みんなで⼦どもたちを守る仕組みができあがったのです。このように、予測情報は単なる"お知らせ"ではなく、地域コミュニティの結束を強める"きっかけ"にもなり得るのです。
完璧ではないからこそ価値がある
ここまで読まれた⽅の中には、「でも、予測が外れることもあるんでしょう?」と思われる⽅もいるかもしれません。
確かにそうです。天気予報が時々外れるように、私たちの予測システムも完璧ではありません。でも、完璧でないからこそ価値があるとも⾔えます。
もし予測が100%当たるなら、私たちは機械的にその指⽰に従うだけになってしまいます。でも実際には不確実性があるからこそ、私たちは⾃分で考え、判断し、責任を持って⾏動する必要があります。予測システムは"答え"を教えてくれるものではありません。"判断材料"を提供してくれるツールなのです。
最終的な判断は、私たち⼀⼈ひとりが、⾃分の状況と価値観に基づいて下すものです。ある⽇、出没確率が60%だったとします。ある⼈は「60%なら⼤丈夫だろう」と判断するかもしれません。別の⼈は「60%は⾼すぎる」と判断するかもしれません。どちらも間違いではありません。⼤切なのは、客観的な情報を基に、⾃分なりに考えて判断することなのです。
⼈間と動物の新しい関係
この予測システムは、単に⼈間の安全を守るだけでなく、⼈間と野⽣動物の関係を根本的に変える可能性を持っています。
従来の獣害対策は、どうしても"⼈間 vs 動物"という対⽴的な構図になりがちでした。動物は"害獣"として駆除すべき存在であり、⼈間は"被害者"として動物から⾝を守るという関係性です。
でも予測システムがあることで、私たちはより冷静で建設的な関係を築けるかもしれません。動物の⾏動パターンを理解し、お互いの⽣活圏を尊重しながら、適切な距離を保って共存する。そんな新しい関係性が⾒えてきます。動物たちも、⽣きるために必死です。彼らなりの理由があって⼈間の⽣活圏に現れるのです。その理由を科学的に理解し、予測できるようになれば、無⽤な対⽴を避け、お互いにとって良い解決策を⾒つけることができるかもしれません。
今⽇から始められる⼩さな⼀歩
予測システムの本格的な社会実装にはまだ時間がかかるかもしれませんが、私たちは今⽇からでも"予測的な思考"を取り⼊れることができます。
例えば、⼭菜採りに出かける前に、「今⽇はどんな条件だろう?」と考えてみる。「最近⾬が多かったから動物も活動的かもしれない」「収穫期だから⼭にも餌が豊富だろう」そんな⾵に、少し⽴ち⽌まって考える習慣を⾝につけることから始まります。完璧な予測システムを待つのではなく、今ある情報と知識を使って、より安全で賢い選択をする。それが、⼈間と動物の新しい関係を築く第⼀歩なのかもしれません。
技術は道具、⼤切なのは使い⽅
AIによる予測技術は確かに⾰新的ですが、それは所詮"道具"です。包丁が料理を作るための道具であるように、予測システムも私たちがより良い判断をするための道具に過ぎません。
本当に重要なのは、その道具をどう使うかということです。技術に頼りきるのではなく、私たち⾃⾝が考え、学び、地域のみんなで協⼒していく。そうした⼈間的な努⼒があってこそ、技術は真の価値を発揮するのです。
次回予告︓未来の共⽣社会に向けて
5回にわたって獣害予測システムの仕組みと活⽤⽅法を⾒てきましたが、最終回となる第6回「未来の共⽣に向けて︓動物も、⼈も、安⼼できる社会へ」では、この技術が描く未来の社会像について考えてみたいと思います。
単に⼈間の安全を守るだけでなく、動物たちにとっても住みやすい環境を作るにはどうすればいいのでしょうか? 技術の発達により、⼈間と野⽣動物の理想的な共存関係はどのような形になるのでしょうか?
また、現在の研究段階から実際の社会実装に向けて、どのような課題があり、それをどう乗り越えていけばいいのかについても触れてみます。技術の可能性だけでなく、その限界や注意点も含めて、バランスの取れた視点でお話しします。最終回では、私たちが⽬指すべき"動物も⼈も安⼼して暮らせる社会"の具体的なビジョンを、皆さんと⼀緒に考えていければと思います。ぜひ最後までお付き合いください。

