東日本大震災が変えた動物の生息環境
2011年3月11日、東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故により、 福島県をはじめとした一部地域が長期にわたって人の立ち入りが制限される「帰還困難区域」となりました。 そこでは人が住まなくなった町が「ゴーストタウン」と化し、 道路、家屋、農地などが長期間手付かずのままとなっています。
この状況がもたらしたのは、単なる人の不在ではありません。 人の生活の痕跡が消えていく中で、その空間はやがて動物たちにとっての“新しい生息地”となっていったのです。
青森県猟友会の十和田支部の方のお話によれば、 これらのゴーストタウン化した地域を足掛かりとして、 クマをはじめとした野生動物が本来の生息域を越えて急速に分布を広げ、 また人間活動の少ないエリアで繁殖を続けてきたとされています。 その結果として、十年以上の時を経た今、かつては見られなかった地域にまでクマが出没するようになり、 人的被害のリスクが高まっているのです。
自然と人の「すき間」に広がるリスク
ではなぜ、クマは里に下りてくるのでしょうか?
確かに、「ドングリが不作だった」「山に餌がない」 といった生態的な理由も一因ではあります。 しかし、それ以上に問題となっているのは、人の住環境と自然環境の境界が曖昧になり、 “すき間”のような空間が拡大していることです。
これまで人の手が加わっていた農地や集落、 道路などが放置されると、そこはやがて藪に覆われ、草木が生い茂り、 動物にとっての“隠れやすい場所”“餌が豊富な場所”となります。 こうした空間は、野生動物が人の生活圏に接近するための「通り道」となり、 やがてはクマが人家の近くまでやってくる――という現象を引き起こします。
しかも、このような変化は一過性のものではありません。 日本全国で進む高齢化・過疎化により、耕作放棄地や空き家が年々増加していることが、 こうしたリスクの土壌をより一層拡大させているのです。
数字で見る「異常事態」
環境省のデータによれば、クマによる人身被害は2023年度に過去最多を記録しました。 下の図1と図2は、近年の人身被害件数とクマの捕獲頭数の推移を示しています。


図1と図2から分かるように、クマの出没数は年々増加しており、特に2023年には被害件数や捕獲頭数が過去最高となっています。 特に図2から分かるように東北地方が顕著に示されていますね。 さらに下の図3と図4、2022年度と2023年度の青森県内で発生したクマの出没や人的被害、産業被害があった場所を比較したものです。 (青が出没、赤が人的被害、緑が産業被害(食害)を示す)


図3と図4を比較すると、新たにクマの被害が報告されている地域がこれまで被害がなかった地域にも拡大していることを示しています。 これは単に個体数の増加だけでは説明がつかないと思われます。 このような傾向はクマだけにとどまらず二ホンジカやイノシシでも同様のことが発生しています。 下の図5と図6は二ホンジカの個体数の増え方を示したものです。


図5から分かるようにクマと同様、二ホンジカの個体数が倍増している傾向が見られます。 また図6は兵庫県における二ホンジカの出没分布に関する調査結果なのですが、15年で出没面積が1.5倍程度拡大していることが分かります。
「予測」が新たな対策の鍵に
従来の獣害対策は、目撃された場所に罠を設置したり、 パトロールを強化したりといった「対処的」な手法が中心でした。 しかし、クマの出没がここまで広範囲・高頻度になると、すべてに対応するのは現実的ではありません。
そこで近年注目されているのが、「事前の予測に基づく獣害対策」です。
たとえば、過去の出没データ(いつ・どこで・何が起きたか)と、 それに紐づく気象データや地理情報、人口密度などの情報を用いて、 「この地域ではこの季節にクマが出やすい」といった傾向を導き出す手法があります。 これにより、予め危険度の高いエリアを把握し、重点的に警戒を強化したり、 住民への注意喚起を行ったりすることが可能になるのです。
私自身も、まさにこの「未来の出没確率を予測する」ための研究を行っています。 次回以降では、こうした予測モデルがどのように作られているのか、 実際にどう役立てられるのかを、少しずつ紹介していきます。
参考文献
図1、図2:環境省."クマ類の生息状況、被害状況等について".環境省.2023/9.
図3、図4:青森県庁."ツキノワグマ出没状況".青森県庁.2022, 2023.
図5:環境省."ニホンジカの密度分布図・個体数推定調査結果".環境省.2020.
図6:兵庫県庁."シカに関するアンケート結果".兵庫県森林動物研究センター.2019.